2015年12月13日日曜日

斎藤たま『南島紀行』

ふと思いついて近々奄美大島に行くので、予習のための本を求めて本屋をぶらぶらしていたときに出会えた本。斎藤たま『南島紀行』。
奄美は昔から気になっていたポイントがあるのだけれど、それはひとまず置いておいて、広告満載のガイドブック(それはそれで土地のお店が載っていれば目的によっては助かる本ではある。でも少なくとも今回求めてはいない。)ではなく、もう少しイメージを喚起させるような紀行文はないかしら。

こういうときに、信頼を寄せている好きな作家の紀行文があればいいのだけれど、なかなか行き当らなかった。どういう風に人は旅の土地を選ぶのだろう?もっと紀行文という本のジャンルが大事にされ本屋で役割を果たしてもいいと思う。ブルース・チャトウィンのような作家が育つには土壌が必要かもしれない。でも日本にもその土壌はあると、これはなんとなく思うのだけど。

もちろん斎藤たまさんのような旅があらゆる人にできるわけではない。見知らぬ家に宿を借りて2か月かけて奄美を旅している。個性豊かなおばあさんたちと「島ぐち」で話そうと、笑われながら格闘する。大島紬に携わってきた人たちの声を聞いて、機織りを、泥染めを観察する。なかなか先に読み進められない。整理された紹介ではなくて、斎藤たまさんが体験した話が再現されようとしているから、追いついていくのに時間がかかる。奄美の土地と暮らしが立体的に現れてくる。

ソテツの味噌には出会う機会はないかもしれない、でも本の表紙にある、魔除けとしてつるされているというヒンジャという貝に会えるといいいなと少し思う。


 

走れヒコーキ その2

小さい小さいヒコーキが好きだ。キャプテン(パイロット)も入れて8人乗りくらいの。薄汚れた小さいヒコーキたちが滑走路で並んで待っている。その中をゆっくりと歩いて行くキャプテン(パイロット)について行く。わくわく感をどうにか抑えて、いざ機上へ。小さなヒコーキはガタガタ左右に揺れながら、ふわっと飛び上がった。キャプテンと、おじいさんと、私を乗せて。

少しずつアラスカの旅も北上させている。フェアバンクスまで行くからには原野の村に行ってみたかった。日本にいる間も情報を集めたけれど、ピンとこない。やはり現地でさがそうと思ってフェアバンクスで決めることにした。それが、今回のメール定期便への便乗。本でアラスカ原野へのメール定期便の話は読んでいたけれど、実際に乗ることになったのはなんとも不思議。

今回はビーバー村とジョンストン村へ行く便に乗せてもらう。

人工物が何もない寒々とした荒野を飛んでいると、ユーコン川が見えてくる。飛行機の待合所でさんざん地図を眺めてどこを飛ぶか確認していたのに、全然ユーコン川のことを意識していなかった。これがあのユーコン。

灰色の建物がばらばらと川のほとりに散らばっているのが視界に入ってくる。どこに着陸するのかしらと思っていると、ここでキャプテンが信じられないくらいヒコーキを傾けて、ほんとに簡単に一回転させるんじゃないかと思った。(アラスカの人は何をするかわからない。)

ちょうど今ウサギのスープがあるのに、1泊くらいしていけば、というのを振り切って村を後にする。着いた時より去る時のほうが何か胸に来る。本当に、いろいろな暮らしがある。また来ます、と言ってしまった。また来なくちゃ。


ビーバー村に着陸 2015
 

2015年11月22日日曜日

東城百合子『家庭でできる自然療法』

群馬の奥利根、山の山の奥の湯の小屋温泉に、葉留日野山荘という廃校を利用した宿があった。今は、本当に残念ながら閉館している。シンプルな温泉場を持ち、木造の校舎をそのまま利用して山の幸を豊かに供してくれた宿は、またおそらく多くの登山家―日曜登山家から世界的的なクライマーまでに親しまれた宿であったことが行くたびに感じられた。営んでいる方々は言葉の少ない方々ではあったけれども、例えば以前に北アルプスでガイドしていただいた方とお知り合いであることがわかったり、独特な世界を感じさせられた。

初めて訪れたのは1月か2月の真冬、バスの終点で吹雪の中降り、一緒に降りた地元の方とおぼしきおじいさんが歩いていく後ろ姿がみるみるうちに吹雪の中にかすんでいく。後にこのおじいさんが宿主であることがわかるのだけれど、そのときの薄暗い吹雪の中の心細さを今でも覚えている。

かつての体育館を利用した食堂で出される山の幸が楽しみで、熊の肉もはじめてここで頂いた。印象に残っているのはメグスリノキなどの薬茶を何種類もヤカンに用意されていたこと。おちょこ一杯で強烈に苦い。

いつまでもあると思っているといつの間にか失われている。


東城百合子『家庭でできる自然療法』は身の周りにある自然の作物を使って、症例に応じた対処法・手当法を紹介している。冷え性、肩こり、切り傷などからガンなどの深刻な病気まで。コンニャクの温湿布、里芋パスター、スギナ茶、ヨモギ茶など、とにかくわかりやすくまとまっている。先人の知恵を通じて、植物の力を借り助けてもらう、というのは理に適っていると思う。こういったこともストイックになりすぎると目的が本末転倒になってしまうけれど、何より自分の身体のコントロール権は自分の采配次第、という姿勢に共感する。



 

谷川岳晩秋

2015年の秋は、雨の日も多くていつもの秋の安定した天候ではないようで、それでも日々冬へと近づいていることを、これは半ば願ってもいる。でないと町の年末に向けてのせわしなさという表面ばかりがカサカサしてしまうのはいかにも味気ない。

10月末の谷川岳。ロープウェイ終点の天神平から山頂まで既に木々も葉を落とし、ブナの実の抜け殻が頼りなげに揺れていた。今年の実りはどうだったろうか。ナッツ類で最もおいしいというブナの実(いったいどんな人がどう食べ比べたのかしら)。

登山道具を少しずつそろえて山に行き始めてから10年以上になるけれども、どの山も見せる表情が異なっていて、同じ山でもまた季節によって違うし、その彼らの勝手な領域にお邪魔させてもらう、という感覚が好きで山歩きが続いている。

前回の谷川岳は山頂付近荒天でまったく視界が悪く、双耳峰のもうひとつの耳には行けなかった。今回は穏やかな、はるかに続く山稜を眺めながら歩ける山行となった。ちょっと風花が舞っていたけれど、それはそれで山は冬をすぐそばまで迎えていることを知る機会に立ち会えたようなもの。


谷川岳2015 肩の小屋から万太郎山への道

下山時、少し急げば早めのバスに間に合うかも、どうしようかと友人と相談していると、ちょうど天狗の留まり場という岩から降りてきた人が、虹が出ていますよ、と親切にも教えてくれる。当然岩に登って確認。すると山ひだから虹が生えてきているのがわかった。見ていてもなかなか虹は消えなかった。
いま思えば、ポイント岩場、虹、急ぐか迷っていた時に教えてくれた人、というこの組み合わせが恩恵のようで、普段の日々の慌ただしい営みにおいてこうしたサインを見落としていないだろうか、と考えさせられている。

オキノ耳からトマノ耳の眺望











 

2015年10月25日日曜日

垣根涼介『ワイルド・ソウル』

人間の歴史の負の側面、戦争や奴隷制度や先住民虐殺等々をどう引き継いでいくか、というのはとても難しい。事実として教え教わることはできるけれど、自分に連なることとして考えて引き受けていくということになると、そこには何か”経験”が必要となってくる。

文学も、大いにその”経験”としての役割を担っている。垣根涼介『ワイルド・ソウル』で取り扱われているのは戦後の悲惨なブラジル移民政策である。からっとしたラテン気質と狂暴さと、日本の組織社会を基調とした雰囲気の対決、が物語として成功している。重たいテーマだけれど、読後感は爽快で救われた。
大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞の3冠受賞。

 

フェアバンクス

昨年2014年のタルキートナからまた少し北上して、フェアバンクスにやってきました。

なるほど、南東アラスカとはまた違う。さすがにアラスカ第2の都会だけあり、車がたくさん走っている。大きなショッピングモールのようなのが2か所もある(これは最近できたらしい)。インフォ(Morris Thompson Culture and Visitor Center)の建物には映像、パンフレット類などの情報が充実していて逆にうろたえる(南東アラスカの町々ではインフォは閉まっているかほこりをかぶった紙が雑然とあるくらい)。それでもそこはアラスカ、原野を目指す小型飛行機の音が聞こえてくると、ああ帰ってきた、という不思議な安心感をおぼえました。

 


アラスカ大学フェアバンクス校(UAF)は郊外の丘の上に散らばっています。何か公開プログラムに参加できればと思ったものの、シーズンオフということもありなかなか見当たらず。
UAF敷地内にあるMuseum of the Northには星野道夫の写真が飾られていた。あの、夕刻に渡渉するカリブーの写真。
モダンで洗練された建物に少々とまどいを感じながらも、自らの志向を意識して大事にしたいと思う。






おそらく若手の撮った極北にあるアルゲリッチの写真も今回見たが、キャプションに、ここにたどり着くにはすごくお金がかかる、と書いてあって、何かとても残念な気がした(日本人の感覚とはまた違うのかもしれないけれど)。高いとか安いとか、本来相対的で単なる物差しのはずが、判断の前面に出てくると関係性がおかしくなってくる。はたしてアラスカに来るのは安いでしょうか、それとも高いでしょうか?



 

2015年2月11日水曜日

野田知佑『新・放浪記1 旅へ』

カヌーイストの野田知佑さんの本に『新・放浪記1 旅へ』という本がある。野田さんの『ユーコン漂流』でアラスカのユーコン川を目指した人は多いだろうし、気骨の有り様がうかがわれる文体のエッセイは、自分にとっても人生読本として大事なストックとなっている。

『新・放浪記1 旅へ』 はそんな野田さんの背景が、切り落とすような印象の文体で書かれていて、数年前に初めて読んだときは少々胸を突かれた。アラスカやニュージーランドや日本の川を飄々と漕ぐカヌーのおじさん、の背景には、怒って荒れる壮年期があったことを知った。

今年になってふらりと入った古書店の棚で『新・放浪記2 南へ』が目に飛び込んできた。まさに飛び込んできたとしかいいようがない。何かぱちんとスイッチが入れられたように自分の中である決定がわいた。これだから本というのはおそろしい。中途半端にしていた半島暮らし、始めます。


雪旅籠

経験しないと分からないという絶対なものさしを振りかざす経験主義者にはなりたくないけれど、それでも、実際に経験してみて、それまでの想像なり他人の談などをすっと超えられることというのは結構ある。もちろん想像というのは大事で、想像の積み重ねの先に経験のよろこびがあったりする。

理屈はとにかく、 雪旅籠の話です。山形の雪深い志津温泉のイベント。
今年は2月27日が初日とのこと。

http://www.gassan-shizuonsen.net/yukihatago/index.html

自然に積み上げられた高さの雪の壁を掘って、作り上げたという雪の旅籠には、ローソクのあかりが灯されていて、何よりその旅籠内部のほっこりとした雪のあたたかさは、今思い出してもうっとりさせられます。






2015年1月25日日曜日

イーヴ・ガーネット『ふくろ小路一番地』

イギリスの田舎町、とはいっても美しいヒースの丘が連なる、といったイメージでは語られていない、ちょっとごちゃごちゃした田舎町にいるラッグルス一家の物語『ふくろ小路一番地』は1937年に書かれ、その年の最優秀児童文学書に選ばれています。

訳者の石井桃子さんのあとがきによると、それまであった児童文学の、魔法使いが出てくる話や上流階級の裕福な子どもの話ではなく、とりあげられていなかった階級の家族のよろこびや悲しみが描かれている作品ということです。1937年という年を考えるとヨーロッパに暗雲が立ち込めていた頃と思われますが、作品は働き者の両親と子ども10人の痛快な話に終始しています。

ちょっと落語を思わせるようなテンポのよさと、愛すべき登場人物のくっきりと浮き上がる様に引き込まれます。

チョコレート

思いがけない符号、一致の到来に気づき、小さな雷が落ちることがときどきある。偶然、という名前をつけたくはなく、驚きもしつつ、そう来ましたか、と受けとめて、でもその意味付けはまったくわからない。自分のコアな部分にかかわることもしばしばである。

例えば先日の話。せっけんシャンプーを使用する自然派美容室で、初めての美容師さんと話をしていて、オーガニックカフェや野菜ご飯のお店の話をしていると、そうそう、アラスカって行ったことあります?と聞かれる。軽く固まっている私を置いて、美容師さんは、どこどこにあっていいカフェなんですよねー、あ、そうそうその近くにも別のカフェがあってーとなめらかに話し続ける。ようやく体勢を立て直し、土地としての、アラスカであれば、と小さな声で、やって来た何かに応えた。

急に香港に行くことになった。想像もしなかった初めての場所である。香港在住の友人に連絡を取る。宿泊の手配は香港の人がしてくれて、そのホテルの名前を友人にメールで告げると、軽く興奮したメールが帰ってきた。そのホテルは最近できた新しいホテルで、昨年末に友人が一時帰国した際のお土産の、イタリアのメーカーのチョコレートはそこで買ったものということである。また小さく雷が落ちた。なんとなくそのチョコレートが入っていた小さな缶のデザインが気になって、手元に置いておいたのだ。そう、キミが呼んだの、とその缶のピエロか何かに応じてみた。相変わらずこの符号は不明のまま旅が済むのか、それともいつか意味がわかるのだろうか。