2013年12月26日木曜日

渡辺一枝『消されゆくチベット』

アラスカのシトカにある小さな博物館には、かつてこの地域で長い間栄えたトーテムポール文化の展示があり、トーテムポールとそのレプリカや、暮らしを彩った数々の品が、暗い照明の中静かにひっそりと飾られています。
ここに来るといつもいろいろなことを考えさせられます。
・・・かつて自然に朽ちていくにまかされたトーテムポールは、押し寄せてきた圧倒的な力を前にして、いくつかは残すということが決断された。象徴であり、精神的支柱であったトーテムポールを見世物として残すのは屈辱であったかもしれず、でもそれは一種の、抵抗の形だったかもしれない・・・

古今を問わずに、人が生きていく姿、取り巻く世界が気になって、ひかれて旅をしている、とあらためて思います。


1987年からチベットを旅している渡辺一枝さんの、今年2013年に出た新書『消されゆくチベット』は、直接見聞きしたチベットの今と少し昔の暮らしの話を軸に、チベットの危機的状況が描かれていてとても読み応えがあります。 チベットの食事事情、冠婚葬祭、教育事情、和紙やお線香や織物などの手工芸など、とにかく見たい知りたいをエネルギーに、広い広いチベット(中国のチベット自治区だけではなく、チベット族が暮らす地域)を旅して回った記録です。
神秘的なイメージのあったチベット仏教ですが、チベット仏教の精神は日々の生活の隅々にまで行き渡った支えとして大切にされていることが、友人たちとの旅を描く著者の独特の文体から伝わってきます。
外からの視線だけれど内からのような指摘は、日々の報道を民族の尊厳問題として考えるときに非常に大事だと思いました。

2013年12月25日水曜日

漂流物

2011年の東日本大震災の津波で発生したガレキが、海流に乗って北米沿岸にたどり着いている、ということを映像やニュースで知りました。ブラック・ベアーが漂流物で遊ぶ映像や、プラスチックのゴミにまみれた海鳥の映像はショックです。あの見知った、美しい南東アラスカの多島海ではどうなっているだろう、と気になりながら旅に出た2013年秋のシトカでした。

実際のところ、2週間の滞在中、何人か話しをしてみると、ああそうらしいね、見たって人いるよ、という声もあるものの、実際に見た、という人には会いませんでした。(でも実は話題にあげるのは結構気を使います。)海辺を歩いていても、それらしい漂流物には会いませんでした。

町のダウンタウンのはずれにある、Sitka Sound Science Centerという小さな海洋研究博物施設には、日本の津波漂流物の展示がしてあります。見つけても触らないように、など注意書きがありました。

話をした中で印象に残っているのは、ガレキよりも福島原発事故の海への影響を強く気にしているということです。海への流出で放射能の影響は薄まる、などと日本では説明されているのを思い出し恥ずかしくなりました。