2012年12月16日日曜日

アリステア・マクラウド『すべてのものに季節がある』

クリスマスを題材にした短編をひとつ。

アリステア・マクラウド『すべてのものに季節がある』(『冬の犬』(新潮クレストブックス)に所収)

カナダ東端の島で過ごした少年時代のクリスマスを、語り手が少しずつ思い出す話です。
雪に埋もれ凍りついた島では、出稼ぎ中の兄がクリスマスに帰ってくるのを家族で待っている。
兄が帰ってくると、若馬にそりを引かせて、教会へ連れて行ってくれる。そして家族へのプレゼント。

大人としての兄と姉と、下の兄弟に挟まれて、大人と子どもの間にいたときの心象風景がとても美しい話です。飼われている若馬や羊、豚、鳥たちの様子に凍れる島の冬を感じます。
どこにも静かという言葉は使われないのですが、静かな季節の光り輝くクリスマスの時間が伝わってくる作品です。


2012年12月9日日曜日

Haines - End of the trailへの旅 (アラスカ)

南東アラスカのヘインズに行ってきました。

ヘインズは土地のクリンギットの言葉ではDei Shu であり、 その意味は"End of the trail"。
入り組んだ氷河の奥の奥に、ぽつんとした集落がありました。

今回の目的はBald Eagle(ハクトウワシ)です。
以前写真集で見た、凍りついた冬の森に点々と止まるハクトウワシの姿はずっと頭の隅にありました。時期的に、ちょうどハクトウワシが集まる地域が、ヘインズにあるらしい。

立派に”僻地”であるヘインズには、おいしい自然食のカフェと、アメリカの各地から流れ着いた自由で愉快な人たちがいました。

また少しずつこの旅のことを書いていければ。


Haines - Bald Eagle Preserve 2012






2012年11月18日日曜日

新井敏記『SWITCH STORIES 彼らがいた場所』

「新潮クレストブックシリーズ」をたちあげ、雑誌「考える人」の編集長だった松家仁之氏と、「SWITCH」「Coyote」を創刊した新井敏記氏の対談を聞きにいったときの話。お二人のそれぞれの仕事への思いなど、少々照れながら、敬愛をこめた笑いの中に進められていました。

話が共通の友人である写真家の星野道夫氏に移ったとき、すっとお二人が静かになってそれぞれの思い出の中に沈んでいくのが感じられました。星野道夫の遺したメッセージを、直接知っている人たちは特に、深く深く受け止めて、日々過ごしている。

私自身アラスカに通うきっかけを考えると、星野道夫の写真や本はもちろんですが、さらにそのメッセージを様々な形で知らせてくれた作品があった、それが旅立つきっかけだと思います。例えば梨木香歩『春になったら苺をつみに』(新潮文庫)のカバーとして織り込まれていたり。

今年も、5度目のアラスカに行ってきます!



神在祭と銀山街道(島根)

5年くらい前、出雲大社と石見銀山を歩く旅をしました。

ひっそりとした秋の出雲大社の町はちょうど全国の神様が集まる「神在祭」がおこなわれており、訪れるまでその日程に気づかなかった怠慢は横において、ありがたい偶然に喜んだことをおぼえています。
諸国の神様たちのお宿として小さなお社が本殿のまわりぐるりにあって、そのひとつひとつに、ていねいにお供え物がありました。



こちらもちょうど登録されたばかりの世界遺産・石見銀山。調べてみると、日本海の鞆ヶ浦へと銀を運んだ道がトレッキングコースになっているらしい。そこを歩きたい!温泉津温泉への道もありますが、時間の関係から鞆ヶ浦への道を歩きました。あまり頼りにならない地図を頼りに、ちょっとしたオリエンテーリングのようにわくわくと道をさがしながら、かつてシルバー・ラッシュで栄えたという鞆ヶ浦へたどりつきました。

電車の時間まで琴ヶ浜と馬路の集落を歩き、醤油を作っている建物を見かけてそっとのぞいてみると、中を案内してくださいました。醤油の大きな甕が地面にぼこぼこと埋まっています。年のいったおばあさんが醤油ができるまでの工程をあちらこちらと案内してくれている間、だいこくさまのような人相のおじいさんがたたずんでいました。







2012年10月28日日曜日

須賀敦子『本に読まれて』

昨日はイタリアに何かしら関わりのある人たちに偶然3人も会い、さらに電車の中で読もうと持っていた本が須賀敦子さんの本でした。得られてとらえた符号は大事にしたい。いつかはいつかはと思いながらとりあげられなかった須賀敦子さんの本について少し書きます。

1929年生まれ。戦後パリ・ローマに留学後、ミラノの革新運動を支えた「コルシア書店」に入る。夫の死後帰国し、上智大学の教壇に立つ。

深い教養、という言葉がそのまま、いきいきと当てはまる人だったのだと思います。文学の背景に控えている、個人の信仰・思想とそれに基づいた行動を美しい文章で残してくれました。

ウィリアム・モリスのデザインが表紙の『本に読まれて』(1998年)は本にまつわるエッセイ集です。
本を読む、というのは信条と経験の積み重ねにほかならない、というその幸福感が共感として味わえる作品が連なっています。

たとえば「世界をよこにつなげる思想」。
著者の若いときには灯台のように、そしてそれからも呼応してきたヴェイユへの深い思いと、ヨーロッパ文学を理解するときの思想的背景への理解を欠くことの危険性を教えてくれています。

「フランスやイタリアには、青春の日々に、ヴェイユやムニエやペギー、そしてサン=テグジュペリを読んで育った世代というものがあるように思う。」

読んで育つ、ということがそのまま血となり肉となりその人を形成することを意味し、世代としてのつながりを持たせる圧倒的な文学の力、というのはもう今はあこがれでしかなく、うらやましいとしたら、須賀さんに申し訳ない気持ちがわいてきました。


水晶岳(北アルプス)

9月の4日間北アルプス山行のポイントのひとつは、水晶小屋に行ってみたい、ということでした。前泊をしないとたどり着けない北アルプスの奥に位置する、小さな、木造の山小屋。そしてカレーがおいしいらしい。できる限り玄米菜食主義を目指しているので、今回の山行でも自炊道具を持参でしたが、水晶小屋ではカレーの夕飯をお願いしました。

水晶岳(2,986m)はその名のとおり水晶が昔とれたそうです。 どんなドラマがあったのだろう、とそのあたり気になります。山頂付近はゴツゴツした足場の悪い岩場で、前の年に行った餓鬼岳を思い出しました。

水晶岳
 




2012年10月21日日曜日

いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』

ひやりとした空気ただよう秋の季節に思い浮かぶ本は、いしいしんじ『プラネタリウムのふたご』です。

プラネタリウムに捨てられていた双子の兄弟が、一人は星の語り部となり、一人は旅回りのサーカスで奇術師になる物語。

いしいしんじの創作作品に共通して流れているのは、存在のさびしさ、というどうしようもない現実でだましだまし生き抜いていく、ということだと思います。
作品は皆、どこの国のどの時代かわからない、童話のような話でありながら、読み手にも覚悟の姿勢をいつの間にか求めさせる作家のような気がします。エッセイを読んでいると飄々としたおじさん、という感じですが、こわい作家です。
 



2012年9月30日日曜日

鷲羽池と法螺貝(北アルプス)

森や山を歩いていると、自分の心の動きがよくわかるようになる気がします。屋久島やアラスカの森を歩いていると、目の前の森を見つめるのと同時に、気持ちが奥深く沈んでいく。時々ふうっと息をつくように気持ちがまた浮かび上がってくる。

しっかり登山のときは気持ちもしっかりクローズドです。鷲羽岳への登りでは登る前からその覚悟が起こります。そういう意味で、とてもいい山歩きができました。森歩きのときとも違って、 呼吸と一歩一歩で精神が打ち込まれているというか。そして山頂手前で一気に開放されました。鷲羽池が見えたのです。

鷲羽池と槍ヶ岳

それから山頂での長い休憩の間、勢いよく開放された心も次第に落ち着き、北アルプスの素晴らしい山並みを眺めて過ごしました。

さて一人の登山者が取り出したのは法螺貝。法螺貝を吹くというのは、人々の我欲を代わりに吹き出すという意味があるとかのお話をその場で聞きました。
でもきっとこうして登ってきて法螺貝を吹いている、今の旅にもオリジナルな意味があるのでしょう、それがこうしてよいお天気で遂げられたのはよかったですね、と思いました。


2012年9月23日日曜日

Coyote復刊!!

雑誌「Coyote」(スイッチ・パブリッシング)が2年ぶりに復刊です!!
http://www.coyoteclub.net/2012/10/275120000.php

「世界はまだまだ不思議に満ちあふれています。」









アジェンデ『精霊たちの家』

冬の静かな屋久島の小さな図書室でアップダイクの『ブラジル』に出会って、今まで読んだことのない南米を舞台にした物語になんだこりゃ、と圧倒されたのが南米文学との出会いの始まりでした。
アップダイクはアメリカの作家ですが、『クーデター』もアフリカを舞台にしているし、その土地のエネルギーを利用した物語の作り手です。

さてアジェンデの『精霊たちの家』。
南米チリを舞台にした物語は、伝説のような際立った人物とストーリーではじまり、やがて現代の恐怖政治へと流れていきます。美少女ローサ、スピリチュアルなクラーラ、情熱的なブランカ、そして現代のアルバ。ひとつのエピソードがまるで勝手に膨らんでいって、お、そうじゃったそうじゃった、と一見もとのところに戻ってくるような語りが絶妙です。

未来は今起こっていることに少しずつ、織り込まれている、そういったことに思いを至らせ、ただ非現実の世界に遊ぶのではないクラーラと、軍事政権化の不合理に押しつぶされるアルバの物語は、昔のこととは片付けられない中南米で苦しんだ人たちに求められた物語だったように思いました。

2012年9月19日水曜日

鷲羽岳・水晶岳(北アルプス)

北アルプスの鷲羽岳(2,942m)・水晶岳(2,977m)に行ってきました。

水晶岳            ワリモ岳           鷲羽岳       (右下三俣山荘)




























夜明けとともに山々を歩き、立ち止まって遠くを眺め、空を見上げたゆるやかな4日間でした。山々の連なりは本当に美しかったです。

穏やかな天気にも恵まれ楽しかったのはもちろんのこと、こうした時間を持つことが自分にとって必要なことなんだと気づき、それがまた静かにしみわたり嬉しさがこみあげてきます。

山旅の記憶を追々メモしていければ。


チングルマ 


2012年8月19日日曜日

小林尚礼『梅里雪山 十七人の友を探して』

少し前、那智の滝でクライミングをしていた人たちのことがニュースになりました。
普段テレビのない生活をしていて、新聞やインターネットでこのニュースを見かけただけなのですが、なんとなく気になったままです。

直球で例えるなら、富士山に登るということとどう違うのかしら?

富士山はご神体ではないから? ではご神体って何でしょう。ちょっとこの辺りのことがおおざっぱに、でも少々荒っぽく、有無を言わせないような雰囲気にされているのが私はいつも気になります。スピリチュアル、という言葉が、言葉だけ独り歩きしているところに抵抗を感じるのと同様な。

見上げる高峰や畏怖を抱かせる滝があり、暮らしと信仰が密接だった頃の話のみではなく、私も山に囲まれて育ち、山や川が近くにあり作物の恵みと雷の恐怖を身体でおぼえていきました。
この「見上げればお山」という根本的な感覚を得る機会が少なくなっているところに、本当の問題はあるような気がします。「ご神体」というよく分からない言葉だけが独り歩きしてしまう。

自然としての神々と、人の挑戦について書かれた本として、この本をあげたいと思います。

小林尚礼『梅里雪山 十七人の友を探して』(ヤマケイ文庫、2010年)

1991年に中国雲南省の梅里雪山の初登頂を目指した日中登山隊の17名が遭難するという事故がありました。前半は遭難報告と再登頂を目指した登山家としての記録ですが、後半、遺体の捜索のためこの地域を単独で訪れるうちに、自分たちが登頂にのみ固執していた梅里雪山が「カワカブ」として長い長い間敬われていたチベット信仰の山であることを知っていきます。著者自身、カワカブのぐるりを回る巡礼の道を歩き、最初のうちは別の登攀ルートをさがしたりもしますが、それも次第にカワカブの「登山」から「巡礼」へと変化します。

「去年の遺体捜索のとき、最後までキャンプ地のゴミ拾いをしていただろ。だからお前を信用する。」―悪意をもたれ続けてきたカワカブの麓の村の村長と著者が交わした言葉から、著者のカワカブとチベット文化を巡る旅は始まりました。



この本を私がはじめて手にしたのは、アラスカのシトカにある小さなB&Bです。この本の中にも書かれていますが、著者は遭難事故後会社に就職したものの、一人の写真家の著作と出会い、表現する手段として写真を選んだとのこと。『梅里雪山』が単行本として出版された年、著者はその写真家が愛したアラスカのシトカを訪ねていたのでした。「カワカブ」のサインが入った本が、その小さなB&Bの書架にそっと収まっています。

マンゴー農園訪問(ガーナ)




















暑いときには暑い話を。



頭の上で大きなカゴなどを片手で軽く支えて、ゆったりゆらゆらと歩いている、派手なプリントの布を着た人たちの姿は、暑い暑いガーナの大地の記憶として残っています。

日本にも頭上運搬文化はあり、たしかに姿勢よくバランスはとりやすそうで、世界のどの地域でも”運ぶ”ためには自然ととられた姿勢なのでしょう。実際すっとしてカッコいいのです。もっともあのバランスは小さいころから身につけないと難しそうですが。

ガーナで、マンゴー農園に行きました。収穫の季節はずれでマンゴーは見られません。滞在していた首都のアクラから少し離れた場所にある、お世話になっている家族の田舎に車で向かいました。

都市としてのアフリカから田舎のアフリカへ。

どちらももちろん初めての地でしたが、私にとって”これまで知らなかった人・文化に出会えた”と思ったのはガーナのマンゴー農園です。きっと相手もそうだったでしょう。ガーナは5月がいいぞ、今(2月)は一番暑いときだ、と言われてから3年が経ってしまいました。






帰り道、小さな集落で白いヤシ酒を買ってくれました。ここのは本当においしから、としきりにすすめられましたが、強烈な甘さとたまった疲れでなかなか飲み干せませんでした。





2012年8月9日木曜日

デュマ『モンテ・クリスト伯』

時には何日も何ヶ月も、間を置きながら読了に時間が掛かってしまう長編小説を読む喜びは、読んでいるうちに主人公の成長と変化に読み手も並走して経験を重ねて行けるところだと思います。人生の緩急を物語として感じられるのは長編小説の醍醐味です。人が変わっていくということを、長編小説は教えてくれます。

アレクサンドル・デュマ『モンテ・クリスト伯』は岩波文庫で全7冊ありますが、特に後半は読んでいてスピードもぐんぐん上がり、その華麗なる復讐劇に連れ込まれます。時代としては、ナポレオン時代の盛衰を背景として、フランスやイタリアの貴族社会や文化祭典状況がよくわかります。 

心理学者の河合隼雄氏が何かの本の中で、子どもの頃夢中になった本としてこの『モンテ・クリスト伯』を”モンクリ”としてあげていました。岩窟王、の名前でも日本では昔から愛されてきた本です。

復讐は神から与えられたもの、一方その復讐に神はどのくらいまかせているのか―キリスト教圏外でずっといることを理由に考えることを放棄せず、いつかまた再読したいと思います。


2012年8月8日水曜日

大英博物館

数年前にはじめて大英博物館に行きました。
歴史的な経緯だとかその収集(収奪)の背景を考えると複雑な気持ちにはなりますが、やっぱりわくわくしておもしろかったです。考え抜かれた配置のおかげで、遠い過去のことというより、歴史の中に自分の身を置くことができる。ゆっくり時間をかけてまわりたい場所です。

中心にあるぐるりのReading Roomも記憶に残るところでした。


















作家の池澤夏樹氏が大英博物館の中から好きな展示を選んで、その来歴を旅する本『パレオマニア』には、あこがれのような旅の話がぎっしりつまっています。この本についてはもう少し時間をかけて読んでみたいと思いますが、同じようなことが大阪の民族学博物館”みんぱく”からできないかなと夢想したり、、

Repatriation-帰還-収集品を本来あった場所へ-という考え方も、強く賛同するところですが、もう少しその中庸のような形が様々あってしかり、ということへの解の一つが『パレオマニア』だと思っているところです。


2012年7月22日日曜日

植村直己『青春を山に賭けて』

日本人で初めて8000メートル峰14座をこの5月に完登した竹内洋岳氏の帰国後インタビュー記事が「岳人」8月号に載っています。

日本人で初めて、と冠せられ偉業をたたえられている渦中にあるのですが、インタビュー記事はたんたんとしていて、「今までと違う特別な達成感は感じていません」。
たしかに「メートルでは8,000ですが、フィート、ヤードでは区切りが全然違ってくる。」

竹内さんは「プロ登山家」としてプロ宣言をされており、その意味するところは、登山で生きていくという覚悟を持つことだそうです。
登山に人生を賭けていた日本人たちが竹内さんの前にいたということを、今回の14座完登によって多くの人が知ってくれたことがすごく重要、とインタビューでも述べられていました。

登山で生きていく、冒険で生きていく、という覚悟。
 
日本社会では登山家や冒険家が受け入れられにくいと本田勝一氏が書いていたことを思い出しますが、その社会も変わってきているのでしょうか。

街の書店で手に入る冒険家への案内書―植村直己『青春を山に賭けて』(文春文庫 1977年)

好きな本としてあげさせてもらうのもなんだか当たり前過ぎて気が引けるのですが、ひとこと加えるのなら、登山などに全然興味もなく、会社でバリバリ働いている女性の友人に、面白いから読んでみて、とおそるおそる渡したところ、見事にはまって一気に読破した、といったことがありました。


屋久島チャリ一周

夏休みシーズに入って、屋久島への計画を考えている話を聞くようになりました。

「半日あいているんだけど、何かおススメは?」という声も時々あります。
半日・・・限られたスケジュールの中では貴重な半日だし、さがせば半日でのツアーや体験系は用意されているだろうな・・・でも島での半日は普段の時間感覚とは違ってくるもの。屋久島旅を楽しむなら、何よりその島時間に入り込むことがポイントだと思います。

ずいぶん前にチャリで島一周をしました。
周囲130キロの屋久島は、島とはいえ九州最高峰の宮之浦岳(1,936m)などの山岳を奥に抱えており、海沿いぐるりの道路もアップダウンのある道です。とくに西側の西部林道は山越えになるため、そこでは自転車は押して進むしかなく、必ず左回りで先に山越えをすること、時間の目安としてどこにも長居せず朝から夕方までかかること、といった事前情報を得て島の南側の平内集落から出発しました。




















思い出せば、西部林道のヤクザルたちが、完全にヒト無視でたむろしていたり、島のゴミ処理場が突然現れて、その山のようなゴミの異様光景に、これは忘れちゃいけないと思ったりと単に苦しい楽しいだけではない旅を得ました。

屋久島の旅としておススメ・・・でも真夏には無茶でしかないかも。





2012年7月9日月曜日

野尻抱影『日本の星 「星の方言集」』

カシオペヤ、オリオン、レグルス、プロキオン、アルデバラン、、、思い出せば星の名前は不思議にどんどん浮かんできます。その響きもすてきな星の名前も、ギリシャ・ローマの神話からきているわけで、そのことを少しも疑問に思わなかったのですが、昔から日本のその土地その土地で伝えられてきた星の和名を生涯かけて集めた人がいました。

野尻抱影『日本の星「星の方言集」』(中央公論文庫、1976年)底本は昭和32年

たとえばカシオペヤ座のWをいかり星(”イカリボッサン”)、スバル(プレヤデス星団)を羽子板星、ふたご座をゾウニボシ(旧正月の頃で雑煮が食べられる)と呼ぶなど、生活に結びついた呼び名がついている星の名前とその由来について、伝承や「85歳の物識りの老人を訪ねた手紙」などとして著者の元に集まってきます。

季節による時刻の変化や暴風雨の前兆の星など、漁師の目印になったものが多いように感じられます。日本のスター・ナビゲーションのことにも思いをはせました。









北斗七星



アラスカの州旗には北斗七星が描かれています。
南東アラスカのジュノーでは、さすがに州都なためか、合衆国旗とアラスカ州旗がひるがえっているのをよく目にします。
青地に北斗七星がくっきりしているのはなにかすがすがしい。

ところでオーロラのことはNorthern Lightsといいます。オーロラが実際に北からやってくるのをいつか見てみたいな、という思いをずっと持って来ました。

オーロラ・ノーザンライツ・北極光・・・アラスカ先住民にもそれぞれオーロラを表す語彙があると思うのですが、それをさがし求める旅もしてみたいです。

2012年6月25日月曜日

Astronomy Pitcture of the Day (APOD)

屋久島に行く途中のフェリーから、種子島のロケット打ち上げの軌跡をわくわくしながら見ていると、子どものころ宇宙にあこがれたことを思い出します。

米国NASAが提供するAstronomy Picture of the Dayをたまにのぞきますが、日替わりの天体写真にいつも驚かされます。

http://apod.nasa.gov/apod/

今日(2012年6月25日)はレユニオン島(アフリカ)で撮られた、湖上に弧を描く天の川。すべてがあまりにも美しいです。


2012年6月24日日曜日

茨木のり子『詩のこころを読む』

気持ちがとっちらかっているとき、詩集をぱらぱらめくって眺めたり声に出したりしています。そうするうちに、なんだかすーっとととのって静かになってくるから不思議です。

茨木のり子『詩のこころ読む』(岩波ジュニア新書 1979年)



本人も詩人である著者によって選ばれた詩のアンソロジー。
好きな詩への思いもつづられています。

私は工藤直子「てつがくのライオン」永瀬清子「諸国の天女」がずっと変わらず好きです。

「てつがく」するライオンと「かたつむり」の対話がなんともやさしい。容易な内容ですが、「言葉を使う術が非常に洗練されてい」る詩だからこそその惹きつける力が大きいのでしょう。

羽衣を忘れた天女伝説が土台の「諸国の天女」は、日本語はまさに縦書きなんだ、と納得させられる美しい詩です。
「家」というものが絶対のものであった時代、”ご飯は皆が済んでから”という時代の女性たちの気持ちをくむ詩です。それは今の時代にも、形を変えて共感を得ていると思います。


 詩の合間あいまに挿入されている田沼武能、土門拳、島田謹介の写真にも深い配慮が感じられる、素敵なアンソロジーです。


2012年6月17日日曜日

メンデンホール氷河(ジュノー・アラスカ)

「アラスカの氷河は、景観の美しさという点では、世界第一といわれている。」
(渡辺興亜編『中谷宇吉郎紀行集 アラスカの氷河』岩波文庫)

雪の結晶の世界的な研究者であり、その美しい随筆が長く愛されてきた中谷宇吉郎がメンデンホール氷河で調査をしていたことを知ったのは、旅から帰ってきてアラスカの書物を漁っていたときのことです。

南東アラスカ・ジュノーにあるメンデンホール氷河はジュノーのダウンタウンからのアクセスがとても容易です。街巡回バスのバス停からとことこ歩いて30分くらいすると、氷河が見えてきてそれはそれは心躍ります。




氷河の近くには短いトレイルが何本かあり、ジュノーの街の人たちのレクレーションの場になっています。



















氷河はどんどん後退して消えているようです。

地球温暖化が言われる一方太陽活動が弱まり寒くなるという話も聞きますが、抽象的な遠い話はともかく、自然の美しさが失われていくのはやはり悲しいな、と思います。

2012年6月5日火曜日

地平線会議『うちのわんこは世界一! マッシャー・本多有香のユーコンクエスト』

2012年2月、犬ぞりレース「ユーコンクエスト」1600キロを日本人女性として初めて完走した本多有香さんの本を一気に読みました。

地平線会議スペシャル『うちのわんこは世界一!マッシャー・本多有香のユーコンクエスト』
http://www.chiheisen.net/_news/_news12/news12-02.html

1998年にマッシャーになるためカナダに渡り、春夏は日本でアルバイトをしながら資金稼ぎをし、冬はカナダ・アラスカで犬ぞりマッシャー修行とレース出場という生活から、自らの育てたわんこたちとユーコンクエスト完走にいたるまでの軌跡が強く心を打ちます。

何よりも、本多由香さんのシンプルな言葉で表現される喜びと情熱と夢に胸が熱くなりました。

日照時間が短く、暗い間の走行となるレースでは、お祭りなどで売っている光るリングを犬の首につけたとのこと。きっと何を見てもすべてが犬ぞりに通じるんだろう、と思わされました。

また沢山の人たちにこの本がボロボロになるくらい読まれて、それぞれの冒険が沢山生まれたり、情熱が生まれるのでしょう。
 



2012年6月3日日曜日

南東アラスカフェリーの旅

archipelagoアーキペラゴ、多島海という美しい名前が冠せられるにふさわしい南東アラスカでは、人が住む町やポイントをつなぐのは道路ではなく飛行機と船です。

シトカでBlue Lakeという湖に連れて行ってもらったとき、その静かさが耳の奥を押すような感覚をおぼえていますが、なによりも町の幹線道路が少しずつ、でも町からそれほど走らないうちに細くなり、それ以上行くと行き止まり、というところまで実際に行ったことを感慨深く思い出します。本当に本当に道の終わり。

フェリーの旅のよさは、氷河をいただく山々を遠景に針葉樹の深い森を間近に眺めながら、時には海の動物たちに自然に会えることでしょう。
↓わかりにくいのですがたぶんクジラの一種が尾びれでばしゃんばしゃん海面をたたいて遊んでいたところ。





航路の確認やチケットの予約はウェブサイトからできます。
Alaska Marine Highway
http://www.akmhs.com/

乗っている間は意外に揺れるので、外のデッキ上ではうっかりぼーっとしていられません。揺れるのは波のせいというより、フィヨルドの地形をぬって船が航行しているためで、地図を見ると細い細い間を走っていることに驚きます。
時々森の中に家がすっと現れるとじっと見つめてしまいます。いったいどんな人がどんな暮らしをしているのだろう。







2012年5月26日土曜日

『記憶に残っていること 新潮クレスト・ブックス 短編小説ベスト・コレクション』

たしかバルザックの『谷間の百合』を取り上げた、学生時代のフランス文学の講義中に、主人公の夫人が湖の水面に手をひたす、の場面で先生が感極まって言葉を失う、ということがありました。
その時はただただ、大学の先生というのは変わった人がいるもんだなと思ったのですが、翻訳文学はキライ、訳がどうの、という人にその後会うたびに思い出す出来事です。
研究者としてフランスの近代小説に生涯をかけてしまう、そしてその感激も日々あたらしい、そんな人もいる。

「翻訳モノ」は日本語で読む日本の読者たちに長い間影響を与え続けてきた、その労をとってきた人たちがたくさんいた、と思います。

新潮クレスト・ブックスは、”海外の小説、ノンフィクションから、もっとも豊かな収穫を紹介するシリーズです。”(カバー裏の辞)
その創刊10周年で編まれた本が堀江敏幸編『記憶に残っていること 新潮クレスト・ブックス 短編小説 ベスト・コレクション』(新潮社 2008年)。




個人的にはこの本のおかげでアリステア・マクラウドを知りました。
いちどその世界が気に入ると同じ作家の作品を片端から読んでいくので、新しい作家の作品になかなか手が出ないのですが、この本を通じて新たな世界を知ることができました。

2012年5月17日木曜日

旅について考えること

何人かの初対面の人たちに会ったときに、旅が好きだという話をしたら、旅はあなたにとってどんな意味がありますか、と聞かれました。
初対面の人ばかり、ということもあり、答えに窮してしまいましたが、その場がしんとするのもおかまいなしにしばし考え込み、・・・いろんな生き方の人に会えることでしょうか、という言葉がやはり口から出て、とまどうような失笑をかったような気がしてもっと軽く答えればよかったと後悔するのでした。

旅は非日常を味わえる、という表現にいつも立ち止まってしまいます。非日常?
ふらふら歩きながらその土地の自然や人の暮らしに入り込んで、世界を見ながらも気持ちが内面に深く沈みこんでいく、というのはイギリス人のトラベル・ライターであるブルース・チャトウインの作品を読んでいても共感するところで、そういう意味では、旅は非日常であると思います。

御蔵島




















未踏の地のような名前もないアラスカの大地を、はるか昔に歩いていた人たちがいた。文字を持たず、記録を残さず、形を残さず、口承の物語を受け継いできた、そういうことにここ数年ひかれてきました。すぐれた芸術としてのトーテム・ポールでさえ、いつの日か倒れて海や森に還っていくことを織り込んで立てられている。

身軽になって彼らの旅に私も連なりたい、というのが究極の旅の目的、願うところだと思います。







2012年5月12日土曜日

水村美苗『本格小説』

水村美苗『本格小説』(新潮社)が世に出てから10年が経ちました。

いわゆる古典文学と呼ばれる作品の価値は、あらすじをすでに知っているようでいて、読み返すたびに、深い印象を次々と与えてくれるものであり、自らの成長とともに感じ方も変わるという意味で、逆に何も印象がなければそれだけ自らの成長も何もなかったということをつきつけられるものだ、といったことを先ごろ亡くなった吉本隆明さんが書かれていたことをいつも思い出します。

『本格小説』はまだ古典のジャンルには入らないかもしれませんが、日本のどこかでそっと読み返され、いつも新たなため息とともに読み終える、ということを繰り返していく作品だと思います。

戦後から現代までを舞台にした、太郎ちゃんとよう子ちゃんの物語。

太郎ちゃんとよう子ちゃんは主人公であり、読み手もすっと2人の心情に溶け込める一方で、物語の語り部であり第三の主人公である「フミ子お姉さん」の内面に読者は踏み込めそうで踏み込めない、そこがこの作品の力だと思いました。

2012年5月4日金曜日

熊棚(月山・山形)

2012年 4月 月山


















初めてクマを見たのは、群馬の奥利根にある湯野小屋温泉近くです。
車道を歩いていたのですが、前方で山側から沢へ道路を渡る、大きな黒いものが見えました。見たものがクマであるという認識につながるまで少々時間がかかるのが不思議です・・・あ?クマ!

あの巨体をドングリ類で維持するのは、これは相当大変だろうとしみじみ思いました。

先日4月中旬、まだまだ雪深い月山山麓でスノーシュートレッキングをしたときに、ブナの木に残る熊棚をいくつか見ることができました。
・・・ブナの木に登って、ブナの実がついている枝をすごい力でバキバキ折ってるんですよ・・・
・・・器用にあまかみして、殻から中身を食べてるようなんですね・・・(一緒に歩いた地元の人の話)









































今年もたくさんのブナの実がなりますように(人間にとっても、もちろんたいへんおいしいナッツです)。